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     生体肝移植を体験して(1)  〜肝がんからの生還〜

発病から移植手術までの8年間の闘病    /  毛屋嘉明  (2010.09.13)
Profile
1947年 福岡市に生まれる。
1969年 地元大学工学部卒業後、建設会社入社。各地の土木現場を経験。
本社、支店の管理部門、営業部門を経て2009年定年退社。
肝臓がんの患者歴15年の経験をもとに、患者会の体験談発表や
講演会参加など活動継続中。
Clinical History
平成3年  会社の健診で肝機能障害を指摘される。
平成6年  C型肝炎ウイルス感染判明。九大病院でインターフェロン治療を受ける。
平成7年  肝細胞がん発病、第1回目の外科手術。
以来、平成14年の肝移植手術まであらゆる治療を繰り返す。その後社会復帰し、無事昨年(平成21年)会社を定年退職。現在は起業して新たな仕事を始め、また、「がん・バッテン・元気隊」事務局メンバーとしてボランティア活動にもいそしんでいる。

2010年9月、妻と、アメリカ、カナダを旅して
1.はじめに
 平成14年、次男の肝臓を貰って「生体肝移植」を受けてから、8年が経過した。15年前肝臓がんが見つかり、移植を含めて10回の手術を受けた。C型肝炎ウイルスはまだ体内に残っているので、現在もインターフェロン治療中だ。がん治療の三本柱である手術療法・化学療法(抗がん剤治療)・放射線療法のすべての療法を体験してきた。私が生きていること自体が、がん患者仲間に向けての元気づけのメッセージになることを信じて、日々与えられた命をいたわりつつ過ごしている。

 これまで、自分のがんについて出来る限りの情報を集め、適切な判断が出来るように勉強を重ねてきた。いろんな「がん講習会」にも参加した。患者会においても自分の今までの体験談を述べあうことがいかに大事で、心を癒されるかを知った。

 医学は日進月歩で進んでおり、私の体験談などはもう昔の話になったかも知れない。しかし一番苦しかった時にどのように考え、乗り越えてきたかの体験談は、これから新たに「がん闘病生活」を始める人の役に立つものと信じている。これからもがんについて新しい様々なことを学び、将来訪れるであろう「がん死」に対しても、正しい知識で立ち向って行きたい。

 この体験談は3回に分けて掲載する予定で、第1回目は肝臓がんの発症から生体肝移植に至る7年間の経過。第2回目は生体肝移植手術後の経過とドナーとなった次男の感想文を、第3回目はその健康を取り戻してから現在行っている活動と今までを振り返って強く感じていることを述べてみたい。
2.闘病経過
〜発病まで〜
 平成3年、会社の定期健康診断で肝機能障害の指摘を受けた。GOP、GPT、が正常値の2倍になっていた。その当時は、適切な治療方法はなく、「無理な運動を避けなるべく安静にしておくように」と言われるだけだった。
 平成6年、九大病院の肝臓の専門医で高校同級生のI先生を頼り相談した。C型肝炎ウイルスの検査をしたら陽性だった。
その後9月に九大病院に入院し2ヶ月連続のインターフェロン治療を受けた。
 平成6年当時、C型肝炎ウイルスの治療法としてやっとインターフェロン治の健康保険適用が認められたばかりだった。C型肝炎ウイルスは、日本では3タイプあり、私の場合は難治群に分類され5%しか治らない1b型だったため効果は表れなかった。(今はインターフェロンも研究が進み、後で述べるがリパビリンとの併用療法で60%の人の肝炎ウイルスが消滅している)
 果たしてその1年後、平成7年には肝細胞がんが見つかり九大に入院し外科手術を受けた。


〜3回の外科手術〜
 第1回目手術は、九大で2例目といわれる腹腔鏡下における肝臓の一部切除手術だった。九大でも新しい腹腔鏡手術で、見学者も多く、長時間の19時間にも及ぶ大手術となった。しかし、長時間だったためか肺にたんが溜まり肺炎を起こしかけていた。痰吸引と背中を叩いて痰を出す試みが一日続いた。麻酔から覚める時、脳が溶けていく夢を見た。暴れたらしく看護婦さんの腕をかきむしっていた。

 第2回手術は、その2年後平成9年に行ったマイクロ波凝固法だった。これは右わき腹から腹中央まであばら骨を切り広げ、肝臓を直接目視でエコーを当てながらマイクロターゼと言う放射線で焼ききる手術だった。
 第3回目も同じく外科による肝臓一部切除で平成11年3月に行ったが、肝臓の後ろにある癌は取り除けず、後日別の方法で処理することになった。

 このように原発性の肝臓ガンは再発が宿命的なもので、もぐらたたきのように再発したがん細胞をそのつど叩くしかなかった。そのときから癌細胞と私の体力(免疫力)との戦いが始まった。
 再発を遅らせるためにいろんなサプリメントを人から勧められるままに飲んでみた。パイロゲン、プロポリス、SOD様粉末剤ニワナ、アガリクス、AHCC、FMX、などに、毎月4万から8万円ほど掛けたが効果はなく再発を繰り返した。癒着がひどくなり、もはや外科手術は不可能となった。


〜肝動脈塞栓術を4回行う〜
 その後平成11年9月から平成14年3月まで半年から1年おきに4回入院、「肝動脈塞栓手術」を行った。
 「肝動脈塞栓術」は足の付け根の動脈からカテーテルといわれる細い管を肝臓の患部に挿入し、そこに抗がん剤を注入した後、血管にジェリー状の詰め物をして、がん細胞を壊死させる方法である。これは放射線科で血管造影のもと内科医立会で行われた。
 患者の肉体的負担は少ないものの完全に除去できないという難点がある。また同時に3〜6個までの癌しか治療できないためまた再発しやすい。

 入院し肝動脈塞栓手術を受けるピッチが早くなり、だんだん1回の治療個所数も6か所と多くなってきた。今後は入院し抗がん剤を常時注入しなければならないといわれた。
 それまでは医者の勧めるままに手術を受けてきた。しかし自分の体は自分で守らないといけないと、いろんな資料を集めて調べた。
 内科入院中に、以前講演会で聞いていた「生体肝移植」の現状や自分への適用可能性について、以前手術してもらった外科医を訪ね質問した。条件は厳しかったものの、私にも可能性があることがわかった。

 余命は半年から一年と宣告され、もう「生体肝移植」以外助かる道はないと思い定めて家族に相談した。家族は皆手術に賛成してくれた。

 56歳になっていた私は、まだやり残したことがある思いがして手術に挑戦することにした。しかし、病院内の倫理委員会で「副腎への転移の疑いがある」との事で、移植手術は一旦却下され、条件として放射線科による「ラジオ波焼灼療法」の手術を受けることとなった。

そうしている内にも病状は日に日に悪化。腹水が溜まりだし白血球も低下してきたので緊急入院した。
 応急の抗がん剤治療を始めるとともに面会謝絶の個室で治療を受けながら移植の受けられる日を3カ月待った。やっと病院の倫理委員会の許可が下り、腹を開けて状況が悪ければ即時に中止するという条件で9月12日に手術が決まった。